蒸籠特集があったので手に取った「暮しの手帖」(2020-2021年 12-1月号)、
その中に、齋藤陽道さんの連載エッセイがあった。
耳の聞こえない写真家の人。
以前知って、写真集を買ったこともある。
文章の中で、
映画「潜水服は蝶の夢を見る」を見たときのことが語られていた。
脳梗塞で「閉じ込め症候群」となった人の話。
意識は鮮明なのに、無動、無言で、
まばたきでアルファベットを指示する方法を見つけ、
二十万回のまばたきで文字を綴り自伝を書いた。
感動作として私も記憶にあるけれど、
齋藤さんは、
どんなホラー映画よりも恐怖を覚えたと言う。
それは、手や表情で、手話で話す自分が、
手が使えない、目が見えない、となったら、
耳が聞こえた主人公よりもっと、
一切の情報から遮断されてしまう、と
その厳しい孤独を想像したから。
一緒に映画を観た恋人と、
もし手話ができない状態になったら、
どうやって言葉を交わすか
話し合って、試してみたりもしたそうだ。
さらに、
死に際に最後に残る感覚は「聴覚」とされることについても、
普通は、だから声をかけ続けて、と言われるのだけど、
彼にとっては、それがないわけだから、
「死という究極の孤独への道のりを
独りで歩まねばならない」と言う。
聞こえないという障がいは、
五感の1つが失われているわけだけど、
どの障がいよりも厳しいものなのかもしれない。
私たちは、世に生きていく中で、
聞こえる、ということから、
どれだけたくさんのことを得ていることだろう。
そんなことを教えられた気がした。
silentの想や奈々たちのことも、
きっと私はわかってない。
当事者になって初めて感じること、
どんなことだってそれはある。
だから経験って、大事なのかな。
他者への想像力のためにも。