モネ日記

「おかえりモネ」感想・・・その後の日々のつぶやき(エンタメから)・・・

今日の虎に翼

今日も虎に翼で始まる。

このごろは、BSで先に見るようになってて。

 

今日の虎に翼、ちょっと珍しい感じがした。

なにか、全部言い切らないというか。

 

優未と寅子が変顔しあったところ、

ナレーションで「優未も私を・・・」で止まる。

寅子も「優未はすごいな」としか言わず。

「・・・」の部分はなんだったのか、

わかる気はするけれど、

あえて言わなかったのが、この作品らしいところだとも思う。

視聴者を信頼してるというか、限定しないというか。

 

今日の優未ちゃんは、なんだかかわいかったなあ。

 

そして、涼子と玉のエピソード。

最後に初めて言葉を発した寅子の「玉ちゃん!」の声がすごかった。

こちらもハッとさせられるような。

この台詞だけで、今日の回は保存、と決めたくらい。

 

このごろ、伊藤沙莉にどんどん好感もてるようになってて、

前は、ちょっと出しゃばり感が好みじゃない気がしてたんだけど、

このところの落ち着いた演技で、すっかり印象変わって。

私はゲンキンだなあ、と思ったり。

 

最後のふたりの会話が英語になってることについて、

他の人が、

「日本語と違って、英語なら、

相手のことを『you』という呼び方しかないから、対等に呼び合える」

と言われてて、なるほど。

 

人との関係で「対等である」って、なかなか難しい。

私は、高齢の母に対するとき、

つい、上から目線、世話する目線、守る目線、

になってることに気づく。

母は母で、子どものことは、いつまでも子どもとして気にしていたり。

 

これからの虎に翼、

どんなテーマを提供していくのかな。

今週はあと1回。

気になってるいくつかの要素、どうやって回収されるのか、楽しみ。

虎に翼

このところ、朝、「虎に翼」を楽しみに起きている。

いつの間にかファンになってて、

ときどき、これは好きだ、というシーンは録画を保存してるくらい。

伊藤沙莉さんの細やかな演技がたくさん見られて、

岡田将生は、あんなにきれいな顔だっけ、と思ったり。

 

今日は、高瀬書記官の「言葉でちゃんと聞きたい」という台詞に

とても共感。

そして、寅子が、納得いく理由を、まっすぐ言ってくれたことに、

そうだ、こういうのが大事だなー、と思う。

やっぱり、ついていこう、と人を信頼できるのは、

こういうところなんだもの。

 

優未が「おいしいものは一緒に食べたい」と言ったのも、

じんわり心に来た。

ここにきて、優三さんエピソードのからみが出てくることに、

なんだか意表を突かれてる。

 

1週間のエピソードの中に、いくつものテーマがあって、

それがちゃんと有機的に絡み合って、無理がない。

15分という短い中に、みっしりお話が詰まっている。

この作品に描かれていることに、とても信頼感がある。

脚本家はじめ、制作の方々、すごいなあ。

 

前半の心折られるいろいろを経てきただけに、

これから寅子たちが力を発揮していきそうで、

そういう痛快さを求める期待もあるんだけど、

今、ひとつひとつ目の前のできごとに立ち向かっていることが

とっても納得感がある。

 

まだ半分ちょっと過ぎたところ。

まだあと2ヶ月以上あると思うと、

どんな展開を見せてくれるのか、

楽しみに思わずにはいられない。

現実世界のガス抜きだけで終わらないように。

 

経年劣化?(個人的日常雑感)

「市子」を見て以来、いまだに頭の中に「にじ」の鼻歌が流れてる。

すっかり市子に心もってかれてる。

いやな気持ちではないから、

やはり観てよかったということかな。

 

このところ、いくつかのものが急に壊れる、の連続。

 

先日、

お気に入りだけど、たまにしか履いてなかった靴を、

今日はぜひ、と久しぶりに履いたら、

途中で気づくと靴底部分がボロボロと分解して、ゴミを発生させてる!

すぐ靴屋さんに相談したら、

こういう材質の靴底は、経年劣化がでこうなる、とのこと。

確かに購入してひょっとしたら10年くらい経ってるけど、

大事に思う分、数回しか履いてないので、

なんとも残念。

でも昨年、お気に入りのブーツも、同じように靴底が劣化してだめになったんだった。

履いてたって履いてなくたって、劣化は起こるんだ。

 

しばらく不安定で大事にしてた奥歯が、

ものを食べてるときに、急にぽろっと取れてびっくり。

痛みは全くなかったけど、ほとんど歯の形ごと割れて抜けてて、

ところが少しだけ欠けて残ってる部分が舌に当たって痛い痛い。

いつもの歯医者さんにすぐ診てもらえたけど、

うちでは対応できないと大学病院を紹介され、

結局処置まで10日かかり、しばらく食べるのが不自由で大変なことに。

 

リビングの照明の片方が、急に点滅して暗くなり。

 

おとといから、スマホが急にシャットダウンする。

購入して4・5年くらいだと思うけど、

業者に聞くと、バッテリーの劣化は起こってくると。

88%だったんだけどな。

ピークパフォーマンスがなんとか?

充電しても、アプリを開くとすぐシャットダウンするので使えない。

スマホがだめになるとこんなに不便で不安になるんだ。

 

実はPCもここんとこ、ちょっと不安定。

謎の動作がいろいろ。

 

他にも何かあった気がするけど、

だいたい何かの故障って、同じ時期に重ねて起こる気がする。

これで打ち止めになりますように。

この2ヶ月くらい体調いろいろで、やっと7月から平常に、と思ってたとこ。

ついいろいろ億劫に思ってしまうけど、

ここで一気に済ませられればいいかな。

そういう時期なのかも。

 

今日、幸いスマホ修理店にすぐ予約が取れたので、

まずは解決しますように。

市子

今日はなんだか杉咲花さんデー。

朝、「アンメット」の話題を妹としつつ、

夜に「杉咲花の撮休」を見て、

その流れでなんとなく見てもいい気がして、とうとう「市子」を見た。

 

心配したよりは、鑑賞後感は重苦しくはならなかった。

夢や幸せを願えない、悲しくつらい市子の人生。

そして考えてみれば、市子は恐ろしい人でもある。

それがこの作品の中では愛おしくさえ感じられるのは、

演じた杉咲花さんの力でもあり、作品の描き方によるのだけど。

この世で自分が存在したいという強烈な思い。

 

最後の10分くらいだけは、幸せな市子の姿が描かれて、

そこは救いで何度も見たくなるし、

若葉竜也さん演じる恋人の最後の思いも、

観客の私たちの思いのような気がして、

市子のことを思いやらずにはいられない。

 

別のレビューで、宮部みゆきの「火車」を思い出した、という人がいて、

確かに、という気もする。

あの小説も、当人に対して思いやりつつのラストシーンが印象的だった。

 

食わず嫌いで避けなくてよかったと思った映画。

アンメット 最終話

ドキドキする気持ちで放送を待ってた「アンメット」最終話。

こんなに楽しみに思うのは何以来だろう?

CMを飛ばしたかったので、

リアタイでなく、録画を10分遅れくらいで見て。

 

始まりからずっと、息を詰めて見てる感じだった。

三瓶先生が、今までになく柔らかい、感情あふれた表情が多くて、

それだけでも涙ぐまれるような気持ちで。

他の登場人物もすべて、愛おしく思える場面がいっぱい。

そして、ミヤビと三瓶先生の今までのエピソードがたっぷり描かれて。

最後までずっと、気持ちが途切れることなく、

心に沁みる、満足の最終話だった。

最後、もっと見ていたかったけど。

 

ほんとにいいドラマだった、

好きで見てきてよかった、と思えた。

それだけまず、書いておこう。

サラの鍵

図書館でなんとなく目に留まって借りた映画「サラの鍵」、

やっと見た。

戦時中、ユダヤ人が強制収容されたときのことが元になってる話、

「過去の悲しみと痛みを、未来の光に変える感動作」

というコピーに期待して、

辛くなって終わりませんように、と願いつつだったんだけど、

見始めてすぐ、あ、これ、見たことある、と気づく。

 

家から追い立てられたユダヤ人たちが、

いったん収容された競技場のシーン、

1万人もの人が、何日も、トイレもなくただいるだけにされた様子、

その悲惨な救いのない光景は、

記憶の中にずっとあった。

でも、この映画のだとは覚えてなかった。

 

先の話がどうなったかも全く思い出せなかったので、

映画はそのまま最後まで観て、

やはり他のところは覚えておらず、

新鮮な気持ちで見終わる。

 

過去の事実を関係者をたどって明らかにしていくことは、

語らずに来た者、知らなかった者には

悲しく辛い事実を知らされることになって、

必ずしも相手にとってよいとは言えないこと、

それでも、救いがあることが描かれていた。

重い悔いを胸に生きていくことは、

たとえ生活や状況が好転しても、

払拭できるものではないことも。

 

その苦しみが、戦争や、選民思想が生み出したものであること。

主人公が、過去の事実を聞いて胸を痛める同僚に、

「あなたがそこにいたら、何をしたと思う?」

と問うと、他の若い同僚が、

「僕ならテレビで見てる。イラクの爆撃を見てたみたいに」

と答えるところ、

なんだか今の自分の状況と同じで、

映画「関心領域」のこととかも思ったり。

 

この間、映画「ミッドナイトスワン」関連のコメントを見ていて、

バレエ監修に入っていた千歳美香子さんが、

「見て、感じてほしい。考えるのはあとでよくて。

映画を観たことで勝手に、考えるスイッチが心の中に置かれるので、

生きてく中で何かの折に、そのスイッチが勝手に起動するときがやって来るので、

感じてほしいですし、

人も作品やできごとも全部出逢いだと思ってて、

見たことは必然になっていくと思う」

と言われてた。

 

私がしんどい内容の作品を見たくないのは、

心に重荷を負いたくないからだけど、

「心の中のスイッチを置く」と思えば、

意味のあることかもしれない。

「サラの鍵」の内容を覚えてなかったのに、

その中のシーンが心に残っていたように、

何かがとどまり続けていく。

自分にとって気持ちのいいものばかりでなく、

苦いものも、私の心のスイッチのためには見ることも大事なのかも。

 

「ねば」で行動したくはないけど、

気持ちが向いたときはやるとき、というのを基準に、

ただの食わず嫌いはなくしていこう。

河合優実さん ~「あんのこと」~

いつも聞いてるポッドキャストで、

映画「あんのこと」について、

主演の河合優美さんの演じるにあたっての思いを紹介されてた。

 

ちょうど「MIMI」を観たばかりで役者さんと役について考えてたことの、

ひとつの答をもらったような気がした。

長いけど、抜粋しつつ、そのまま。

 

「この役と、主人公のモデルになった女性を、

自分が守る、絶対に守らなきゃと、心に決めました。

自信があったとかそういう意味ではありません。

ご本人の尊厳にも関わるとてもデリケートな題材ですし、

むしろ、演じながら悩み、躊躇する瞬間がたくさん出てくるだろうと思った。

でもだからこそ、最初に彼女と手をつなぎたかったんです。

不遜に聞こえるかもしれないけれど、

わたしのところに来たからには、もう大丈夫だよ、

そう語りかけずにはいられない自分がいました。」

 

監督から最初に手紙をもらい、

「彼女の人生を生き返す」という言葉を送られていたと言う。

河合優美さんという俳優の体を借りて、

モデルとなった女性が向き合っている世界をみんなで再発見しましょう、

という意識を共有して進んでいったそう。だからほぼ順撮り。

入江監督も自分の今までの演出とは違って、

河合優実さんに「こういうふうにやってみてください」ということは一切言わず、

逆に、「杏は今、どんな感じですか」と聞いていたくらい。

河合優実さんは、

「感じ取ったまま演じていくから、怖かった。

でも、この怖さを監督やスタッフ全員が共有してくれていたので、頼もしかった」と。

 

撮影前に、いろんな人に取材し、

モデルになった人に詳しい記者からは、監督と共に何時間も話を聞いたとか。

 

「MIMI」でも、横浜流星演じる青年が、当事者に直接話を聞いてた。

そのときの表情が、

相手のことを理解しよう、という気持ちがにじんでいたのを思い出す。

「MIMI」の時は、それが、役を演じるための手段のように感じたんだけど、

河合優美さんの

「わたしが守る」「わたしのところに来たからには、もう大丈夫だよ」

という言葉は、

それほどの思いもあるんだ、と教えられた気がする。

よく俳優さんが、

「自分がその役のいちばんの理解者でありたい」と言うけど、

その上で、これほどの覚悟というか、愛をもって取り組むってすごいことだと思う。

 

・・・と言いつつ、わたしのいつものパターンで、

この間、観るチャンスがあったのに、辛そうな話だと、スルーしてしまっていた。

「ぜひ知ってほしい」という河合さんの思いを聞くと、

これはやはり見ようかな、とちょっと思いかけてる。

佐藤二朗も、怪演系ではないようだし。