「ほぼ日刊イトイ新聞」の「今日のダーリン」で
糸井重里さんが「鎌倉殿の13人」に触れていて、
もうすぐ終わっちゃうことを惜しく思うようなことを書かれていた中で、
・・・
「ああ、たのしかった」と思ったことはほんとにないなぁ。
「ああ、たのしくない」をたのしんでいたのでしょうかね。
・・・
とあったのが、なんか納得だった。
このドラマがどうしておもしろいと人気なんだろう、
という疑問の1つの答のような。
「たのしい」と思って見てるわけじゃない、
という感覚もありなんだ。
私にとっては、
自分の心のキャパを試されるような視聴体験になってる。
ある方がブログで書かれていた、
「義時は、もはや鎌倉に、敵はいないと呟きますが、
実は味方もいないのです」
というのに深く納得。
なんでこうなっちゃった、と義時自身が一番思ってるかも。
後の鎌倉の安泰のために、
義時がすべての悪役を引き受けてる感じ?
貧乏くじ?
これが史実の姿だとしたら、むなしすぎる。
もう義時の最期を見届けるために見るべきかな。