坂本龍一さんの「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」を読んでいる。
初めの方の「友達という存在」の中に、
自分は昔から、「自分には友達がいない」が口癖だったけど、
そのころ一度、友達の定義をしてみて、結論が、
「自分がほんとに困った瞬間、まっ先に電話できるのが友達」。
今回自らの死に直面して、
相談したいと思える人を数えてみて、
ありがたいことに、アメリカにも、ヨーロッパにも、日本にも、何人かいる。
ただただ、頼りになる人。
それだけで自分は幸せだなと感じた、と。
そんなことが書いてあった。
これ、このごろ自分がよく考えること。
何かあったとき、私が連絡したい人、
いるかな?
誰も浮かばない気がしてて、
それは私の今までの生き方の結果だし、
それをさみしいとはそれほど思ってないんだけど、
こんな私は、ずいぶん特殊なんじゃないか、と思ったりしてる。
そして、きっとやばいことなんだ。
普段生活して人と何かをしてる分には、
不都合を感じることはない。
でも、心の中で特別なつながりの人を持っていない、ということは、
世の中では珍しいことのような気がする。
これ、コロナのころから、そして戦争が始まったころ、
特に実感するようになった。
自分は浮き草みたいなもんだなあ、と。
それを焦ったりはしないけど、
だからこそ、何か大変なことが起こらないでほしい、と願ってる。
何かあったら、私の生活のほんとのところが暴露されてしまう、
ほんとはどこにも根を張ってない、希薄な存在だということ。
何かあったときに、どこにも個人的に頼れない。
今の自分については、こんなふうに思ってるけど、
これはここ数年思ってることで、
この先もこう思ってる人生なのかは、わからない。
本は、坂本さんがガンが再発してその後の日々の中で考えたことなどが、
具体的に書かれていて、
もっと生きていてほしい人だったなあ、と
やっぱり思う。
71年の人生は、短いとは言えないかもしれないけど。
誰でもいつかは終わりが来る。
私は、70年くらいでいいような気がしてる。今は。
「いつ」より「どんなふうに」が大事。