小関勲さんの「ヒモトレ革命」(甲野善紀共著)の中で、
「生後まもなく失明して、何十年も経った後、
開眼手術をして見えるようになった人で、
"本当に見えるようになって嬉しい"と思う人は一人もいないそうです」
とあってびっくり。
中には鬱病になってしまう人もいるとか。
当然見える方がいいだろう、と思っちゃうけど、
もともとなかったものは、当人には不自由感はなく、
それで十分適応して生きてきてるから、
かえって新しくできた世界に戸惑ってしまう。
「一人も」ということに驚く。
ちょうど見たEテレのドキュメントでも、
ある盲目の方が、
「医療が進歩して現実的に見えるようになりますと言われても、
それを選択しないかもしれない。
見える人が見えなくなるのと同じくらい怖いことかなと思う」
と言われてた。
人間の感覚って、人それぞれなんだ。
いま十分大丈夫な状態の中なら、
普通にあるものがなくても、それは欠落とは限らない。
「ある」「ない」にとらわれすぎることはないんだなあ。
当然よかれと思ってすることも、
当人には不幸になることもあるんだ。
多数の常識が当たり前というわけじゃない。
自分が「ない」と気にしてること、
ほんとになくちゃいけないこと?
ちょっと考え直してみたくなった。
わたしはわたしの「ある」を大事にしていけばいいのかも。
少し前の「ほぼ日」糸井さんの言葉で、
「失ったものでなく、得たものを数える。それが勇気を出すコツ」
とあって、これは震災がらみのもので、ちがう話だけど、
「ない」ということをちょっと考えたこのごろ。